チャップリンの映画音楽 |
チャップリンの代表作(の一部)の名曲をそのまま忠実に演奏してくれており、チャップリンの音楽集として非常に質が高いと感じました。映画を何度も観て曲が頭から離れなくなっている人もすんなり聴ける一枚。
個人的に非常に残念なのは、「ライム・ライト〜テリーのテーマ」が収録されていないこと。このクオリティであの曲を聴いてみたかったなぁ。 しかし、全ての作品は網羅せずに、敢えて作品を選んでその作品の曲を多く演奏するという方向性は良いです。流れるように映画のシーンが浮かんできます。 大音量にしても聴き応えのある演奏なので、普段のBGMとして流すのにも最適。 比較材料として、『チャップリン・フィルム・ミュージック・ベスト・セレクション』と同時に購入したのですが、こちらは、アレンジと編曲がオリジナルから大分外れており、演奏の質もそれほど高くないです。ですので、こちらで肩すかしをくらった人も、安心して聴けます。 |
泉谷しげる10枚組BOXセット「黒いカパン」(DVD付) |
ほとんどレコードで持っているけどこれは買いです。80年代の終わりにLOSERを見たけど、ほんとに凄いライブだったのでこの機会にぜひもう一度やって欲しいです。野生のバラッドのシングルバージョンを付けて欲しかった!ライブやってくれ! |
黄金狂時代 |
「眠れない夜」ばかり取り上げられますが、隠れた名曲がいっぱい!
「暗闇街丑松通」「火の鳥」「Dのロック」などその後の泉谷のライブで演奏された曲が多く収録されています。 改めて泉谷の黄金期を感じさせられる傑作です。 |
ラヴ・チャップリン ! コレクターズ・エディション BOX 1 [DVD] |
過去NHKで、チャップリンの短編集を中心に放送していたときにはじめて見てからとっても好きになりました。そのときは、必死にビデオに録画し大切な宝物にしていました。スクリーンで見た唯一の作品「街の灯」。最後の最後に胸がいっぱいなるような場面。優しい気持ちを感じることができるそんな作品です。去年は、「チャップリン映画祭」で代表的な作品を毎週見るために足を運び、その温かさに映画館を出るときの足取りが、幾分普段とは違う感覚であったように思います。今回その作品たちを、まず第1弾として手にしました。スクリーンほどの迫力はないけど、見たいときに会える。そんな作品たちを自分の手元におくことが出来る、それはとっても私にとってうれしいことなんです。 |
チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート [DVD] |
不世出の天才喜劇王チャップリンの生涯を、初期の無声映画時代から最後の監督作品「伯爵夫人」までの名場面、メイキングシーン、そしてご家族や関係者のインタビューを織り交ぜながら描いていきます。チャップリンの映画はほとんど観ているけど、初めて聞いた意外な裏話も多いし、マーティン・スコセッシ監督やジョニー・デップが目を輝かせてチャップリンのすごさを語る様は改めて彼の偉大さを思い知る。
一番の見所はご家族が撮ったホームビデオではないだろうか。リラックスした様子で、年老いても昔と同じように笑いを取ろうとお馴染みのコミカルな演技をする姿には、大笑いしながらも少ししんみりした気持ちにさせられる。まさに映画のまんまだった。 |
黄金狂時代 コレクターズ・エディション [DVD] |
あたりまえですが、音声、字幕無しで楽しめます。
それは、演技とパントマイムの素晴らしさ、そして表情の豊かさの成せる業です。 DVDには日本語の字幕もありますが、無しで見てみてください。 日本でも無声映画はありましたが、ここまで映像だけで、 ストーリーのみならず、細やかな感情まで 表現できている映画はないのではないでしょうか。 思うに、、全てをビジュアルと音楽で表現するというコミニュケーションは、 多民族多言語国家だった欧米だからできたこと、、 言葉や民族、文化の壁を越えるには、 共通言語としての表情、演技、音楽を研ぎ澄ませ、 そこに全神経を注ぎ込み創っていく。。 日本ではどうしても、単一言語民族の国なので、 表情、演技、音楽といった共通言語を持たせる必要もない。。 ビジュアルで伝えられないものは、ナレーションで補足してしまう。。 そこに、質の差が出てしまうのではないかと、推測します。 靴を食べるシーン、パンの踊り、独創的なパントマイム、 大晦日の家の中で食事の用意をするチャーリーの演技の素晴らしさ。。 チャーリーが、愛や友情を大切にしたからこそ、 黄金という富が転がり込んでくる。。 そして、 引き上げ船の上でボロ服を着た億万長者のチャーリーを見て、 密航者だと勘違いし助けようとした彼女も、億万長者のチャーリーと結ばれる。。 この後続く、彼の映画では、文明より、金より、名誉より、 人に大切なのは愛や慈しみだという、 一貫したテーマは、時代が変わろうと輝きを失うことはないでしょう。 小学生の頃、父はチャーリーが好きで、何度も一緒に観ました。 そんな、かけがえのない想い出は、お金では買うことが出来ません。 チャーリーは、 そんなことまで、見越して映画を創っていたのではないかと思えてなりません。。 |
わが青春のロック黄金狂時代―ビートルズからボン・ジョヴィまで (角川SSC新書) |
著者がミュージックライフの編集者として、キャリアをスタートした時代に、中高生の読者として、紹介されているインタビューエピソードをリアルタイムで読んでいた。といってもどちらかといえば、ライバル誌の「ニューミュージックマガジン」や「ロック専科」が愛読雑誌であったが。
MLになじめなかったのは、取り上げるミュージッシャンがミーハー的であったことが原因だったが、それが「日本から売り出す」または、本場から先に旬なタレントを発掘するのが狙いであったことが判明して興味深かった。 今は死語になっている外タレをただ有り難がっていた時代はもはや昔となり、JPOPが最大のカテゴリーとなった今、昔は良かったと回顧趣味にならず、あの頃の熱気は再生可能かと考えながら読んで見る必要がある。たぶん、無理と考えるのは容易だが、我々が一つに集中して熱狂しなくなったのは、季節感のない正月や、シーズンがはじまったのに始まるバーゲンセールに代表される時間軸の喪失が原因かも。 私が初めて聴きに行ったロックコンサートはサンタナ熊本公演だった。同じ年、福岡でニール ヤングを聴いた。その後、1992年にアメリカに駐在するまで、ロックコンサートには無縁だった。九年間の駐在時代に、コンサートにはザバンドのNY公演の一度だけ。ただ、ロックには濃密に付き合った。出張先のライブハウスや、住んでいたニュージャージーのライブスポットをはしごした。彼の地ではロックは日常の娯楽であった。巨大アリーナでのイベントより、そのようないつもの場所で、いつものバンドの演奏を地元のファンと一緒に聞く。ロックが日常の生活の一部のアメリカでロックを日常のエンターテイメントとして楽しんだ。あの時代が私のロック黄金狂時代であったと思う。 |