安彦良和原画展 ~ライディーンからガンダムまで~
機動戦士ガンダムDVD-BOX 1 特典フィギュア付(完全初回限定生産) |
古典アニメの名作とか言ったところで所詮は二十年も三十年も昔の作品……と期待せずに見始めたらこれがもうほんとに凄い。
劇場版三部作もたしかによかった。「ガンダム・ジ・オリジン」のソフィスティケイトされつつ迫力ある画力だって圧倒的だ。 だけどアニメ版のガンダム、これはほんとに何人も到達し得ないよさがあります。 30分アニメという特性上の視聴者の興味を惹きつつ次回に繋げる物語の精巧な作り方、ほんと当時のスタッフの熱みたいなものが窺い知れます。 だれもが知る名台詞の応酬も圧巻ですが、台詞ひとつにしても、細かいシチュエーションや演出の違いでニュアンスがかなり変わってくるんで、油断は禁物。 いろいろ端折られてる劇場版やオリジンでは得られない、アニメ版でしか感じられない感慨があります! そして古典アニメとは思えぬ圧倒的な完成度と娯楽性…見せ方とか演出とか巧いよねえ。限られた予算と人員だからこそ、創意工夫があるというか。 ビートルズが1960年代の未発達なレコーディング・スタジオで、いろいろ実験的な録り方をして面白い効果を生み出してたけど、そういうのに通じる面白さがあると思う。 古典なのに面白いっていうより、古典だからこそ面白いっていうか。 あと、カイさんがいちばんカッコいいのは、やっぱりアニメ版なんでね。そこも重要です。 ロボット・アニメは玩具を売るためのCMのようなもの、だなんて揶揄される。 だけどねえ、出てくるロボットの玩具を買いたいって思わせられないようなアニメなんて、結局二流三流じゃあないだろうか? |
機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- [DVD] |
劇場版Zは新作というより本編を編集し展開を若干変えてある。映像はデジタルリマスターで良くなっているが気になったのはキャラのCVが変わっているのは気になった。あと話しが飛んでいてアニメを2話ずつとばして見ている感じ。もっと限定された時間で上手くつくってほしかった |
機動戦士ガンダム THE ORIGIN (18) ララァ編・後 (角川コミックス・エース 80-21) |
ニュータイプとして覚醒しつつあるアムロ、ララァを手元に置き暗躍するシャア、そして、木星からきた男:シャリア・ブル。テキサスコロニーに各々の「想い」が交差する。ガンダムTHE ORIGIN第18巻、ララァ篇・後。
特に「THE ORIGIN」のコミックは揃えていない(連載をサラッと立ち読み派:笑)のだが、この巻はたまたま見た「一コマ」に圧倒されて、衝動買いしました(17巻と一緒に)。 アムロ(ガンダム)の挑発にのって、深追いするシャリア・ブル(ブラウ・ブロ)。それにいら立つフラナガン博士に向かって(「コクッ」と顔を不自然にひねって)ララァがつぶやく(P103)。 「いいんです、博士。私は、あの人(シャリア・ブル)のではなく、シャア大佐が戦うところをみたいのですから・・」 彼女は、はじめから解っていたのだ・・・。シャリア・ブルが「還らない」ことを、いやハッキリ言おう「死ぬ」ことを・・・こ、怖い。 戦争は人に「狂気」を芽生えされる。それが男であっても、女であっても、大人であっても、子供であっても。そう、ララァであってもそれからは、逃れられなかったのだ。 そうした「暗黒面」をたった一コマで表現できるとは、流石(さすが)安彦良和氏。参りました。 |
機動戦士ガンダム THE ORIGIN (17) ララァ編・前 (角川コミックス・エース 80-20) |
安彦さんによればララァという娘は、なかなか好きになれないキャラクターだというインタビューをかなり昔から言われていました。富野色の濃いキャラゆえなのでしょうか?ダイターンのコロスやイデオンのカララなんかと同じ富野産の女性だからでしょうか?
一方アムロには好感を感じていて母と別れ、父と再会し、ミライには「かわいそうな子」と言われるアムロですが、安彦まんがに登場する少年像にもれず、ナイーブで反骨、本性は優しい子というアムロ。そんなララァとアムロですがオリジン最終章の中では、「戦い」の中で「互い」を「解ってしまった」間がらとして描かれるのだと思います。だから、ニュータイプなんて概念はめんどくさい・・、と笑ってコメントされていたことがありました。 安彦さんの中では、アムロなりララァに血肉の感じる描き方を予定しているように思うのです。ニュータイプの定義とされる、「宇宙に出てからの認識力の拡大」という話。みなさんお気づきでしょうがララァは「地球育ち」です。14巻でその素養を見出したのはシャアですが地球生まれの彼女には宇宙に出る前から「その才能」を持ちえていたわけです。安彦良和という作家は泥臭い作家です。古事記ではナムジが牢屋の中で幽閉され子供に帰っていくように、またかつての作品群の中でも心のうちの描写は、悲劇を体言してきた者達だからこそ「やさしさに打ち震える」ことが多く描かれています。終章に向けて安彦氏が好きな母性を描く象徴としてララァを描きたい。今巻のララァやアムロの姿を見ていると、そんな予定があるように思われるのですが。 だからこそ、だからこそ、二人の男が戦う理由がそこにあるように思えるのです。とても泥臭い訳を丹念に描きたいと思っているのではないでしょうか。シャアとアムロにとって縁(よすが)、ララァとは二人の男の間で揺れる女であり、厄介なひとに違いありません。もし、シャアの剣でアムロが血みどろに風に舞うようになっていたら、やはりララァはガンダムの盾になったのでしょうか? せん無いことですが、たぶんアムロの盾にはならないんじゃないか、そんな風に思っちゃうなぁ。 次巻収録となりますがシャリア・ブル戦がオリジナルとして展開しています。このオリジンのシリーズは一番世間に認知されている映画版が底本としながらも、増補、改定を加えながら展開しています。長くシャア・セイラの流浪篇などオリジナルの展開が続くものですので、カメラがホワイトベースに戻ってから続く新展開こそ、安彦氏がテレビシリーズで病気で倒れた後のクールを描く展開となります。 一見、テレビをトレースしているようですが、みなさんの洞察力で見落としているところはないでしょうか ? ユリイカ 2007年9月号 特集 安彦良和 |
機動戦士ガンダムTHE ORIGIN 16 オデッサ編・後 (16) (角川コミックス・エース 80-19) |
内容は、皆様、御周知の通り。
これは、良いものだ。必ず世間に広げてくれよ! こうした良作が発表される限り、ガンダムは、過酷な市場で、まだ10年は戦える!! |
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