黒い雨 [VHS] |
1945年8月6日、広島に暮らす人々の何気ない日常から物語は始まります。この日、広島に原爆が投下されました。 まもなく日本は終戦を迎えますが、人々は戦争や原爆が残した傷跡に悩み苦しみながら生活を送っています。そして本作は哀れな彼らの姿を長々と映した映画にすぎません。ですが戦争被害者を延々と見ていると、今の日本の現状を省みずにはいられず、今の日本には省みるべき点があることも確信してしまいます。 戦争をリアルタイムで経験した登場人物たちは生涯その傷を背負い、不幸な人生を送ります。かたや今の私たち、少なくとも私の周りでは戦争というものを実感することがありません。去年の夏頃はTVや新聞で特集を目にし、戦争について考えたりもしましたが、いつの間にか忘れている始末です。 もはや末期的に風化してしまった「戦争」。そんな今日を幸福に生きる私たちは、ひょっとすると不幸に向かっているのかもしれません。そして本作は、時を経てなお今の私たちに警鐘を鳴らしているように思えてならないのです。 |
貸間あり [DVD] |
川島雄三監督作品というと幕末太陽伝くらいしか容易に手に入れることが出来ず、ケーブルテレビの番組表とにらめっこしてはチェックしていた。とりわけこの作品は原作者の井伏鱒二が気に入っていなかったためテレビ放送をすることが出来なかったいわくの作品なので、こうしてDVDで見ることが出来るのは非常に嬉しい。
内容といえば一つのアパートの奇妙な住人達が織り成すドタバタコメディーなのだが、そこには意思をもちながらも日常に流されていく日本人の姿が主人公を通して描かれている。また、本作に登場する「サヨナラだけが人生だ」は川島監督を代表する有名なセリフなのでファン待望のDVD化でもあると思う。 今では白髪になってしまった藤本義一が若い頃に師匠である川島雄三とアパートの設計図から作り上げていった作品、心して堪能したい。 |
黒い雨 デジタルニューマスター版 [DVD] |
感動した。今年、この作品をDVDで見て、この作品が公開されて18年もの間、この映画を観なかった自分を恥じた。今村昌平監督(故人)に心からの敬意を表したい。
このDVDには、1989年に、日本国内とカンヌ映画祭などで公開された『黒い雨』全篇に加えて、公開直前、今村監督があえて完成作品に収めなかった19分の未公開カラー部分が収められて居る。1989年に公開された『黒い雨』は、全篇が白黒で、主人公の矢須子(田中好子)が原爆症と思はれる症状に陥り、トラックで病院に運ばれる場面で終はって居る。この未公開のカラー部分は、その矢須子(田中好子)が、生き延びて、原爆投下から20年後の昭和40年(1965年)に、四国の霊場を巡礼として歩くと言ふ、原作には無い物語を、今村監督が、当初付け加える積もりで撮影された物だが、今村監督が、迷ひに迷った末、完成された『黒い雨』から削除した物である。その未公開カラー部分の深さは、神が人間を見守る様な視線で主人公と戦後の日本人を描いて居る。 うらぶれた巡礼の姿に身をやつした矢須子(田中好子)は、この未公開カラー部分の中で、こう独白する。−−「死ぬその日まで、私は美しくありたい。たとえ偽りの美しさであっても。全てを捨てた筈なのに、私は、まだ、自分を捨て切れないのだろうか?」−−この独白の後、主人公は、死んだ人々の幻影に対面する。 被爆者の生を、「死ぬまで美しくありたい」と言ふ「女」の視点から描いたこの巡礼の場面と独白は、女を描き続けた今村昌平監督でなければ創造し得なかった物だと私は思ふ。 (西岡昌紀・内科医/2007年8月6日=広島に原爆が投下されて62年目の日に) |
山椒魚 (新潮文庫) |
蛙を岩屋に閉じ込めることに成功した山椒魚は自分もそこを抜け出せなくなる。絶望の密室の中二人にやがて死という運命が……この後どういう展開になるのか。短編小説はこのような余韻が大事。 |
黒い雨 (新潮文庫) |
本作とは直接関係ないのだが、今夜、長崎の伊藤市長が狙撃された。平和への取り組みを続けている人に何故このような悲劇が起こるのだろう。
本作は広島原爆被爆者の日記を基に、被爆者家族の翳ある暮らしぶりを敢えて淡々と綴ったもの。作者得意のユーモア味は完全に捨て、登場人物に感情移入する姿勢を排して、逆に被爆者の悲劇を際立たせている。聞く所によると、本作発表時、「被爆者の会」から抗議が来たそうである。「このような物を書かれては、被爆者の家族の女性は嫁に行く所がなくなる」と。それだけ、作品に迫真性と悲劇性があったと言える。 被爆の影響は今も残っている。我々はこうした悲劇が二度と起こらぬよう努力する必要があるだろう。本作はそうした訴えを敢えて抑えた筆致で描いた戦後の名作。 |
駅前旅館 (新潮文庫) |
最近は、井伏鱒二という名前を聞いても、「黒い雨」と「山椒魚」しか思い浮かばない世代が増えているらしい。かつては文壇の大御所だった人気作家も、時代が移り変わって忘れ去られていくわけか。淋しい話だ。
昭和32年に単行本が刊行された「駅前旅館」は、井伏の作品のなかで「本日休診」「珍品堂主人」と並び称される、昭和の風俗小説の三大遺産と言えるだろう。こんなに飄々たる文士然とした小説家は、現代ではもう、とんと見かけなくなってしまったのではないか。 いま読みかえすと、すこぶる渋い味わいの小説であることに気づかされる。老舗旅館の番頭さんの打ち明け話の、したたかな独白体のおもしろさ。特殊な業界をていねいに取材して書いていますね。下世話な人間観察の精妙と揺るぎなさ。屈折したユーモアの気品とほろ苦さ。まさに大人の読み物。 このほど、文庫本の47刷にして改版をへて、活字が大きくなった。当初からの河上徹太郎の解説のほかに、池内紀の軽快なエッセイ風の解説があらたに加わった。作品の背景となる昭和の社会風俗をまったく知らない読者には、きっと理解の一助となるはずである。温故知新。出版社のこうした配慮には、日本文学への愛のぬくもりを感じた。 もしもあなたの好みに合うなら、くりかえし読むに堪える逸品。 |